• 変わったとしても、終わらないで

    眠っているはずの赤ちゃんが突然「わー!」っと大きな声を出すことがある。
    様子を見に行くとムニャムニャ…といった仕草を残してちゃんと眠りに戻っている。
    寝言だ。喋れない赤ちゃんは寝言も泣いてる風なのらしい。夢を見ているのだろうか? 夢は、見たことのある世界だけが出てくるのだろうか? 想像の事物も登場するのだろうか? 知りたいけれど、知る術がない。

     

    家に赤ちゃんがいる夏は、今回が最後かもしれない。ふと、そう思って、胸が苦しくなった。
    赤ちゃんのこと、毎日「かわいい」と思う。けれど、もっともっと思わなければ足りないような気がしてくる。こんなふうに急き立てられる心地になるのは、夏の終わりという時節のせいかもしれない。夏の終わりはいつだって、ここには無いものや、空白についてを感じるのだ。

     

    一方で、今年の夏はとても満たされる思いも味わった。
    ある本を読んでから、本棚の前に立ってみても何も読む気が起きなくなってしまった。
    『夏物語』だ。
    『夏物語』を読んでからの私は、しばらく小説を読むことができなくなった。お腹がいっぱいで何も食べられないときのように、この夏は『夏物語』一冊で満ちた、いや、溢れた。
    なんて幸福な体験だろう。

     

    ひとりで子どもを産みたい夏子と、ひとりで子どもを育てた姉・巻子。
    大人になることを怖れていた姪の緑子は、まさに大人になろうとしている。
    『乳と卵』に描かれた三人だ。
    『夏物語』を開くと、きちんと時を重ねた姿で三人がそこに居た。そのことがうれしくて、そして、彼女たちがこれから先何十年と重ねて行くのであろうその未来が見えて、「世界におわりは無いのだ」と強気になる。

     

    私たちは、「わかってよ」と「わかってもらわなくて結構」の狭間でいつも揺れている。
    そして誰かのことを本当にはわかってあげることもできないから、巻ちゃんの言う通り「話を聞かなきゃいけない」。
    川上未映子さんは、あちら側のあの子のことも、こちら側のこの子のことも掬いあげる。書きながら聞いているのだろうか。

     

    ククク…と笑える嘘みたいなエピソードを読むと、逆にリアルな感じがした。
    天保山のシーンも、とても印象的だった。天保山にあった、プリンのカップみたいな形のサントリーミュージアムを私は大すきで、高校生のころによく訪れた。あんなに立派なものが閉館してしまうことに、当時は実感がわかなかった。建物は今も残って、ちがう美術館になっているそう。久しぶりに、行きたい。夏子みたいに。

     

    時を経て、中身が変わること。外見が変わること。その理由。
    べつに何でもええか、と思えるのは諦めではないだろう。
    わからなくても、終わらなければいい。
    喃語を喋る赤ちゃんに「一体何を話してるのん?」と真面目に聞きながらも、そんなことよりも続いて欲しい、と最近はことさらに思うんだ。

     

     

    ・・2019.9・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    『夏物語』(川上未映子/文藝春秋)