• 「ごちそうさま」を言いたい

    冬の寒い日。私たちは鰻屋へ向かった。
    疲れ果ててもう力が出ない。そういう時は鰻と決めている。鰻さえ摂取できれば全てが元に戻ると信じているのだ。
    店の扉を開けると、小洒落たインストゥルメンタル音楽が耳に飛び込んできた。鰻屋でインストゥルメンタル?不思議に思い視線を上げると、天井近くに取り付けられたテレビが、くるくると舞うスケート選手を映している。そうか。オリンピックか。今年はあまり見れなかったな。と、ぼんやり眺める。我々の前に鰻重と肝吸いが到着したとき、ちょうどテレビには怪我から復活したばかりの羽生選手が現れた。大将も換気扇を止めて演技に集中。緊張が張り詰め無言の店内。つやつやの鰻は、口に含むと誰かが「解散!」と号令を掛けたかのごとく、一斉に広がりとろけ、全身に散らばった。あっちもこっちもクライマックス。弛緩していた瞼に力が漲る。脳がキュっと縮み、再びプワ〜と広がる。おお、今!私の分子と鰻の分子が反応し合っている!これが福岡伸一さんの説く動的平衡なのかしらとかなんとか、考えるような間はなく、ペロっと完食。羽生選手金メダルの瞬間を見ながらの鰻重。耳で、舌で、目で、全身でたのしい数十分でした。ふ〜。衝動的に手を合わる。「ごちそうさま」と、感謝を告げずにはおれません。

     

    鰻と言えば、向田邦子氏の随筆『父の詫び状』の『ごはん』だ。
    向田さんが大切に記憶している食のエピソードをいくつかあげているなかに、お母様と食べた鰻が登場する。短い文章だけれど、何度読んでも嗚咽無しには読み切れない。ぜひ一人でこっそりと読んで頂きたい。『ごはん』を改めて読み返し、鰻とは、食べ終わりの「ごちそうさま」と手を合わせる幸福感こそが醍醐味なのだと気が付いた。これが言いたくて食べるんだ。

     

    季節は流れてすっかり春。東京の桜は例年よりも少しはやく満開に。
    路地を覗いたとき、角を曲がったとき、不意に視界に飛び込む満開の桜のインパクトったら。ほろっと泣いてしまいそうになって、寒い長い冬をがんばった自分に気が付く。よし。鰻、食べ行くか。みんな、冬おつかれさま!

     

    2018.3