• 10代のころに出会いたかった本

    子供のころ、まったく本を読まなかった。まっっったく!!
    漫画ばかり読んで、両親に与えられた本はことごとく無駄にしたし、国語は苦手だった。世界が一変したのは中学生になって、友人のすすめで『ムーンライト・シャドウ』(吉本ばなな)を読んだこと。出会うころには出会うのだ。

     

    なによりも心惹かれたのは、死について描かれていることだった。それまでの日常で語られることのなかった死についてをこんなにも堂々と、そして迷いながら考えている大人がいるということを知り、私のいる世界がすべてじゃない、大人というのは私が目に見ている姿とは少し違うのかもしれない、と驚愕した。
    幼いころから読書をしている子供たちは、もっと早くこのことに気が付いていたのだろうか。そう思うと、やっぱり子供のころからの読書って大事なのかも、というか、早く気が付けるのは単純にお得。身近な大人が教えてあげられることって、本当に限りがあるから。

     

    「あこがれ」という言葉は大人の為のものだと思う。
    10代の頃を思い返すと「あこがれ」に似た感覚は知っていたけれど、それが「あこがれ」とは結びつけられていなかった。キュンとするときめきだったり、どこか羨ましいような理不尽さだったり。恋愛感情と嫉妬の間は未開拓で、スコンと抜けていた気がする。「私は私だし、これで結構満足なのよ」という土台ができて初めて「あこがれ」は機能するのかもしれない。
    そんなことを『あこがれ』(川上未映子)を読んで思った。
    10代の少年少女が抱く、まだ判然としない、言葉未満の「あこがれ」が描かれている。川上さんの描く少年少女は芯が通っていて、そこにとてもリアリティがある。「あなたはまだ小さかったから覚えていないでしょ」ということを親戚などに言われ、「子供って意外にちゃんと覚えてるもんやで」と心のなかで思うことがよくある。そう、子供って、本当によく覚えているし、わかっているし、考えている。完全にひとりの人間なんだよね。川上さんには常に、そんな少年少女への尊重の念があるのです。『ヘヴン』を読んだ時にも感動したなぁ。
    川上さんの書く10代が大好き。私が10代の頃に出会いたかった。

     

    もう一冊、10代の頃に出会いたかったといえば『ネンレイズム/開かれた食器棚』(山崎ナオコーラ)が浮かぶ。
    ナオコーラさんは「救う人」だ。「救う人」の代表は私の中では槇原敬之で…、っていう例えは余計にわかり難くなりそうだけど、誰かへ向けて開かれた表現をする人に出会うと「このひと、救うなぁ」と心がひらひら震えるのです。だから、ナオコーラさんの作品はナオコーラさんにしか書けない。
    『ネンレイズム』では年齢や性別、『開かれた食器棚』では意思と自然が持つ境界線について、とても優しく柔らかいストーリーに乗せて描かれている。10代のころに出会っていたら、価値観は多様で当然ということや、違った意見を交換し合うことの楽しさ、そして考えを変化させることが悪ではないことに、もっと早く気が付けたろうと思う。(こういうのは、今でも忘れがちなんだけど)

     

    “10代のころに出会いたかった本”という書棚が私の脳内にあって、それはもう叶わない私のなかでは「10代におすすめしたい本」として、せっせと整理している。
    なぜか増えるとうれしいのだよね。