• 東京の大人

    大学への通学に小さな団地を通っていたことを、ずいぶん長いあいだ忘れていた。
    川の側にある3階建てくらいの、四角い建物。いつ通ってもどこかに黄色い明かりが灯っていて、人の声やテレビの音が漏れている。それを聞く私はいつもひとりで、羨ましくて、夢の途中で、子供で、あの黄色い明かりのとこには大人がいるんだろうなぁと、宙ぶらりんな気持ちを向かい風に飛ばしながら自転車のペダルを漕いだ。
    そのころによく聴いていたのはくるりの『東京』で、「岸田さんは今の方が垢抜けてはるなぁ、でもデビューからずぅっとええ歌詞やなんて、天才や」と、まだきつい関西弁で思う。

    学生の部屋はすべてが適当で、出始めたばかりのLEDライトは目が痛かった。

     

    みんなが主役。そんな話が好きだ。
    群像の物語ではなくて、無数の物語がひとつの土地に集合している話。

     

    『千の扉』(柴崎友香)は、まさにそんな話だ。
    新宿の団地に期限付きで暮らし始めた“千歳”と、同じ団地に住む人々、そして、かつてそこに暮らしていた今はいない人々の物語。時空を越えて場面をさすらう目線は、まるで神様のようで、なるほど、土地の神様ってこんな風に地上を見ていて順番にスポットを当ててくれているのか、そこから見たら人間って土に生えてる感じかもな、植物みたいできれいかもなぁ、と、ぴょこぴょこと風で動く草花を想像した。
    そんなことを考えながらの読書は時間がかかるのに、心地がいい。美味しい珈琲をゆっくり飲むとか、濃厚なチョコレートを前歯で齧るとか、そういう感じに似ていて、自分だけの密かな楽しみを得た大人みたいな気分になった。

     

    柴崎さんの小説の魅力はたくさんあって、本当にたくさんあるのだけれど、その中でも柴崎さんの描く「関西弁の女の子」に会いたくて読む時がある。クールに周囲を観察しながら、ちょっと言い訳めいた関西弁を話す女の子たち。近作では、関西から上京して東京に暮らす話が多い。
    小さな変化をし続ける東京の一瞬の表情を見逃さない彼女たちは、自分が東京に馴染んでゆく移ろいもきちんと見つめることができる。

    「花火大会といえば隅田川でも多摩川でもなく、PLや淀川。海といえば湘南ではなく、須摩。」と『千の扉』の千歳がふたつの街のあいだに浮かぶ様を見て、関西と東京のあいだの、存在しない何処かにいるように生きていた上京したてのころを思い出した。まだまだ重いペダルを漕いでたあのころのこと。

     

    夢の途中に行きたかった“あっち側”に、いつの間にか来ていることには気が付いている。
    思い描く夢はまだまだあるけれど、子供のころのそれとは違う。「途中だ」と思うことが減った。大人ってやつだ。
    黄色い明かりを灯す番がまわってきた。そんな日がくるなんて。
    大人も案外いいものだなんてこと、とうに気が付いているのだけれど、ノスタルジックはやめられない。